40代男性元公務員です。
仕事への自信喪失と自分の心が人の感情により影響されることが煩わしくなり公務員を退職しました。
それなら自分一人の力で稼いでいこうと思いつき勢いで退職し、勢いでお店を始めてしまったのです。
事業について何一つ知識がない人間が店を出すとどのような結果になるのか、40代の人だけでなく、私と同じような心境を持つ人にお伝えしたいです。
また、これから店舗も出そうと考えている人は、私の二の舞にならないための教訓として読んでいただけたらと思います。
40代で公務員を退職したきっかけ
公務員の仕事が煩わしくなった私は、転職ではなく自分で起業するという方法を考えていました。
そのような心境の中、私は偶然コンビニで独立支援の情報誌を見つけ購入しました。
その中に古物買取業に必要な知識や技術を教えてくれる会社を見つけました。
同じ県内で近い場所で受けられるという事で、まずは説明を聞きに行きました。
その会社の店舗を直接見学したのですが、これが凄く面白そうだったのです。
色々な人が色々なものを持ってきてくれて、それらに値段を付ける作業(査定)がとても楽しそうだったのです。
公務員より面白い仕事を見つける(古物買取業)
お客さんが持ち込んでくる様々な物品に出来るだけ低い値段を付け買い取ります。
買い取った値段より高く売ります。
その差額で利益を得るというものです。
買取業というと貴金属や宝石、ブランド物がメインの商品です。
しかし、私を教えてくれた会社は、売れる物であれば何でも買い取るというスタンスでした。
値段が付けば何でも買取ることができる
貴金属やブランド品以外で買い取ることができる品物は以下の通りです。
- 楽器
- カメラ
- 刀剣
- 切手
- 古銭
- テレホンカード
- おもちゃ
- iphone
- ガラケー
大きく分類すると、このような物を買い取ることができました。
こんな物まで売ることができる
変わった物では
- 爪切り
- 量販店で売っている腰用マッサージ器
- 記念硬貨
- 将棋の駒
- 中古の靴
という品物も買うことができました。
質屋ではない
買い取った品物をどうするかというと、別の専門業者に売ります。
質屋のように自分の店舗で販売するというわけではありません。
将棋の駒であれば将棋の駒の、昔のお金であればお金の専門業者が、携帯電話であれば携帯電話の専門業者が存在します。
世の中には本当にいろいろなお店があるのです。
しかし、専門店で売ることができない品物も存在します。
そのような品物はネットオークションに出品します。
1円スタートで始めても意外と入札されるものなのです。
買取時の倍の値段で売れることもありました。
地元に貢献することが夢
私は生まれてから今日まで同じ場所で暮らし続けています。
学校や職場、妻も私の同級生で中学校では同じクラス、同じ部活でした。
地元での公務員職でしたので、例え退職しても商売で稼ぎ、いずれは寄付という形で恩返ししたいと思っていました。
40代で公務員を退職して店を出すも7か月で閉店
公務員を40代で退職しましたが、感情の赴くまま、勢いで行動して成功する考えていたのは私だけでした。
基本私は他人の意見を聞かないところがあり、当時の私は40代ではありましたが、公務員を退職して独立することしか頭にありませんでした。
それ程、他人の感情に振り回されることが嫌になったのです。
この気持ちは職場内で人間関係が良くなかった人はご理解いただけるのではないかと思います。
ここからは私の失敗談です。
どのような形で失敗したのかお伝えします。
広告費(折込チラシ)
最も費用が掛かったのが広告費です。
新聞折り込みチラシ、店舗のホームページ、地元情報誌、看板・・・
店舗を出して広告を打てば、普通にお客さんがやって来るものだと思っていました。
新聞折込とは新聞と一緒にはさんである広告の事で、もちろんそれを行ってくれる業者が存在します。
新聞は若年層はあまり読んでいないので、ターゲットは比較的年配の方になります。
- 広告のデザインを依頼する
- 印刷してもらう
- 印刷してもらった広告を朝刊と一緒に配達してもらう
新聞折り込みをしてもらうには以上の工程を経ることになります。
当然安い物ではありません。
確かに新聞折り込みを出した日はお客さんが来ました。
でも結局、広告費の元を取るだけの収入を得ることができませんでした。
ホームページ
現代社会においてホームページ(以下HP)の存在は欠かすことはできないと思います。
新聞の発行部数が減少しているのもインターネットの存在があるからでしょう。
お客さんもHPを見て、来店してくださった方が多いです。
中には70代の方もいました。
私に最もダメージを与えてくれたのがこのHPです。
業者にHP作成を依頼することにより数百万の借金を作ってしまいました。
借金をした理由はセールスに乗せられてしまったからです。
話が魅力的で、導入すればお客さんが来ると本気で思っていました。
なおHPは助成金があるそうです。
それを使えば金銭的な負担は相当減っていたし、もう少しお店を継続できていたと思います。
駅前のビルに店舗を構える
店舗を出すなら駅前でしょ。
と考え駅から歩いて3分以内のビルに店を構えました。
ここでの失敗は5階だったことです。
さすがに5階だとお客さんはわかりにくいです。
エレベーターがあれば大丈夫と指導してくれた会社に言われ、部屋の雰囲気の良さもあり契約してしまいました。
駅前のビルに店を構えるという事は当然それなりの出費があるということです。
話はそれますが、ビルの所有会社はとても優良で信用できる会社さんでした。
家賃も立地の割に安かったですし、初めて店舗や事務所を出す場所としては非常に良いところでした。
公務員時代の蓄えをすべて使う
25年にわたる公務員生活により、私は起業するだけの蓄えはありました。
公務員の収入は全国平均より少し上に設定されています。
公務員を離れた今、私がいかに当時安定した生活を送っていたのかを物凄く感じます。
しかし当時の私は、この蓄えは店を出すためのものだったのだと信じて疑っていませんでした。
私だけならよかったのですが、私の妻の心情も全く考えていませんでした。
指導してくれた会社
私の店はお客さんが来ませんでしたが、私を指導してくれた会社を見学した時はお客さんがかなり来ていました。
まさしくお宝と言ってもいいような品物が持ち込まれてくるのです。
これがこの商売は面白いと感じ、この商売をやる決意をした要因となりました。
教えていただいた事は外部に漏らしてはいけないので、詳しくはお伝えできませんが、様々な品物の鑑定方法や接客方法などを学びました。
当然研修料があり、安い物ではありませんでした。
でも、私のほかにも研修を受けている方がかなりいたので、買取での儲けより研修による儲けの方が多い会社だったのではないか、そちらの方がメインの事業だったのではないか、そんな気がします。
まとめ
公務員だった私が40代で退職して、数百万円散財した話でした。
幸い親が残してくれたお金もあり、最終的に借金はありません。
しかし、妻には本当に大変な思いをさせてしまっています。
正直、私はいない方が良いのではないかと考えてしまう時があります。
今私にできることは生きること、何とかして生き抜くことになっています。
公務員時代ならばこのような思考にはなることは無かったのですが。
人に試練が与えられるのは、その試練に耐えられるからと何かで見た記憶があります。
確かにそれなりに良い経験をしたと思うし、絶望はないので耐えられていることになるのでしょうか。
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